タイトルマダイ

人はいつか死ぬので

キモいことしか考えてない

 

つらいつらいと思ってる。

 

つらいけど、誰かに手を差し伸べられても、まともに握り返せないんだろうなと思ってつらい。

 

好きだった人(好きな人と以前は書いていた)にしたことを思い出して、申し訳ないことをしたとつらい。

 

3人のライングループで1人に電話したいと言われても、自分じゃなくもう1人の方としたいんだろうなと思うとつらい。

 

自身が悪文生産機であることがつらい。

 

自身を悪文生産機と言ったことで、自覚はあるんだと誰かに鼻で笑われることがつらい。

 

結局、このブログが誰にも読まれないことがつらい。

 

いろいろな理由で死にたいけど、死後の世界はあって自分が終わりきれないかもしれないことがつらい。

 

結局、自分のブログが誰にも読まれないことがつらい。

 

 

朝がつらい。

5月半ば

 

色んなことが終わって、色んなことが始まった。

 

大好きだった人とのやり取りが2ヶ月も前に完全に終わって、1ヶ月前から友達と夜に電話をしてる。 

 

大好きだった人の方、2ヶ月も前なんて書いたけど、それが段々伸びてくのは怖いことだ。多分自分がタイムリープするくらいしか縮まることはない。タイムリープをしよう。2ヶ月前の一緒に歩いてる時に、何年後かに会ったら、あの時好きだったんだよって言うと思うよくらい言ってしまえば良かったなとこの前ふと思った。

 

最近は外に出ていない、3月の終わりに歩くことを習慣にしようとしたのに歩いても得ることがなくて嫌になってしまった。目的地があるわけではないし、人に会えるわけではないし、風が吹いてることがひたすら気持ちいいとも思えなくなってしまった。まずどこまで散歩したらいいか分からない。行きは良くても、帰りがつまらないこともある。

 

もう5月は暑いから、たまに窓を開けると風や匂いの素晴らしさに感動するけど、まだ外には出ない、用事がないと出ない。

 

あまりにもゆるゆると過ごしてるのに、自分は損してるとか、得してるとかの考えをむき出しにして生きてる心の貧しい人間です。それでも、これは仕方のない本能なのだと信じるのです。

 

 

 

Now praying

 

 うつ病になりたくない。うつ病になったらおしまいだ。と思うけど、これを人に言ったら怒られるか、笑われるんだろう。実際、笑い飛ばされた。

 

うつ病になりたくない理由は、今の時期になったら、何もかも壊れるなあというのが大きい。いつやっても壊れるのは変わらないけど、今は特にまずい。特にまずいから、色んな人と話したい、遠くへ行きたいのにあまりできない。友達も多くないし、皆さん忙しいのでまともに話もできないし、元来自分はつまらない人間だから、6月とかになったら、連絡取る相手親だけになるんじゃないかと思ってる。

 

よって状況は恵まれないけど、自分はうつ病になりたくないから、うつ病になりたくないと大きな声で言いたいのだ。うつ病になりたくないと宣言したい。誰かに、笑われたくも、怒られたくも、泣かれたくもないけど、それでも誰かの耳に入れてもらいたい。

 

そういうことってあるじゃないですか、あるはずなのにどこにも言う場所がない気がしてびっくりしてしまった。自分勝手で駄目だと思うけど、これは祈りのような位置付けと捉えてもらって全部全部許されたい。

愛はどこにある

 

4月に入った。

 

好きな人にドキリとさせられた状況を思い出そうとしても、よく思い出せなくなった。大事なものは意外と簡単に手に入ったように思えるし、その代わり失う時も、音なく失った。思い出せなくなった自分はこれからどうやって自分のことを温める術を得るのか。

 

人に会う機会が格段に減った。といっても、4、5日前には続けて人に会ったりしてたけど、もはやそれは自分にとって過去のことになっている。

 

自分は、愛をよく知らない人間だと思ってるけれど、人に会いたいと漠然と思ったりするのは、なんでだろう。会ってもろくにうまく話せなくて、つまらないという結果みたいなのも見えてる。その時に、やっぱり自分はこの人のことそんな好きじゃないのかもなと思ってしまう。

 

前も書いた気がするけど、曲の歌詞にある、いなくなって初めて大事さに気づいたという表現、どうせ戻ってきても大事さをまた見失うよとかいう感想を持ってしまう人間だし。それでもとっても会いたいような気がするのはなんでだろうかと書こうとした。

 

 

そしてこの文章を書いてて、これが依存かと自覚した。会いたい人っていうのは、半分友達で半分好きな人のことだけど、依存とかじゃなく本当に好きなんだしと思ったけど、これは依存です、依存。美化した形で自分は相手を固めてる。こんなことをして申し訳ないような気がしてくる。

 

やはり、自分のテーマは、人を愛することですね。人を愛そう。人を愛すことは自分をまず愛すこととか見たけど、目を背けたいことが多すぎるね、もう無理だね。それでも、嫌われたくはないから愛してね。ちゃんと愛せないけど、愛してね。ついでに、愛を自分なりに、考察し、定義してて偉いって褒めてほしい。

 

 

 

1年は会う予定がない人のこと

 

 

カレンダーが部屋にないので、日付のことがよく分からない。勉強もろくにしていない。アニメ、映画を観たり、音楽を聞いたり、本を読んだり、完成しなくて誰にも見せられない絵を描いている。

 

前にクレープを食べた時、その店の2つ用意されていた箱ティッシュの1つが自分が使ったタイミングで切れて、友達と、いや好きな人なんだけど、「切れたことを店員の方に言った方が良いだろう。」となった。

そして店を去る前に、店員の方にそのことを伝えたら、『????』という反応をされた。そんなことを言われても困るとか、そういう感じの。1人で食べにきてて、これをやられたら、自分の心は、もうあの店行かないぐらいの勢いで死んだと思う。一緒にいた人がいて良かった。

 

店を出た後、口から出た言葉は『社会』だった。その日、自分の良心は、社会に裏切られた。

 

そんなわけで、社会とは相容れないのだと気付かされてしまった。しかし、自分は社会と関わっている。さらにしかし、自分は浪人生活により、クレープ屋に行く機会はない気がしてるし、社会とこの1年会うことはなくなるんでないだろうか。そしてこのままニートになると、社会さんとは二度と会わないのだ。

 

 社会には会わないといけない。まともに呼吸するためとかそういう理由で。長い人生を、よく生きたいがための浪人を選んだ。しかし、浪人、ニート最前線に位置する。恐ろしいなあ。社会に戻れないことを、なんとも思わない価値観をこれから身につけないことを祈るばかり。

 

 

 

 

 

また意味の分からない、大げさな文章を書いた。最近よく思うことは、何にも肩書きがなくても愛してくれる人がいる素晴らしさです。浪人生になっても、普通にラインを送ってくれたり、話しかけてくれる人がいます。これは愛以外のなにものでもないから、自分も愛のことなんか考えなくても、愛という単語を知らなくても、相手を愛したいのです。

 

 

 

表しがたい

 

どんどん遠くに行ってしまう人たちに、『行かないでほしい』と言って、足を引っ張りたくなってしまう。

 

自分の目で見る皆さんは、髪の色も前より明るくなったし、肌も綺麗だから、前日に食べた晩ご飯もきっと美味しい味がしたんだろうなという気がしてしまうんです。それがすごく、羨ましい。羨ましくて、少し憎い。

 

『 行かないで』とぼろぼろ泣いても、自分は美少女じゃないので、みんなスタスタ去っていく。優しい人は、5分くらい慰めて去っていく。残っているのは縁の切れない家族くらいで、縁は切れなくても、恩は感じていないからもう駄目かもしれない。そういえば、恩を感じてないなんていう自分は、人もまともに愛せないのかもしれないなと思い至った。

 

他人を愛せないのに、他人に愛されたい。

全く勉強をしてないけど、大学に受かりたいと思うくらいには厳しい気がする。

 

どうすればいいのかという気持ちで書いてみたけど、どうすればいいかなんて思ってないことに気づいた。ただ、同じような人にとって共感があれば幸いだ。

 

自傷的想像

 

 もう2度と若さを得ることはないだろう。シャワーを浴びるために鏡を見ると、自分がもうなにかを得るということがない気がした。

 

実際は、なにか得ることなく終わる人生ではないと思うし、そう思いたい。でも、もう目に見えた行き止まりを、蟻のような大きさの自身がのろのろと、前に進んでるような気しかしなくなってきた。人間の大きさに戻ることはない気がしてる、壁を壊す力も蟻なのでない。そんな中で得られるものは、今まで得てきたものより価値が変わりやすかったりするものではないんだろうか。そんなものを得てもなあ。

こんなことを書いても、とりあえず、大学に合格しろって感じのことを思われるだけだな。

 

話は変わり、この前、好きな人に会いました。ご飯を食べに行って、色んな場所で海を見た。とても良かった。素敵だった。とてもとても良かったので、長く長くメモに書き留めた。終わったあとに来たラインは何回か見返した。ラインでは、今度はどうこうって話も出してくれて、今度を考えてるのは自分だけじゃないのだと思えて嬉しかった。

 

何もない街だけど、色んなところに行ったし、たくさん歩いたし、その日は恋人同士みたいだった、本当に。相手は2人で歩いてるとき、誰かに会うことを極端に恐れていたので、自分と歩きたくなかったのかもという気がしたけど。もはやそういう所も嫌いじゃないと思った。自分がそのことを嫌いかどうかなんて相手の知ったことではない訳だけど。

 

それでも何日か経ち、現実的になって、その日は若さのピーク的出来事のあった日という位置付けになりつつある。今度とか、言ってくれたけど、今度なんてどこにもなくて、相手にもう何かを与えることも、与えてもらうこともない。だから自分の若さは終わってしまった。そう思う。

 

4月からちゃんと、遠くの街で大学生になる人はちゃんと大学で美しい恋人でも作るんだろう。その恋人のツイッターを、なんか見つけちゃって、そこには2人の自撮りとか、見覚えのある指先とかが載ってて、鬱になったりしたくないな。全くしたくないし、そんな画像を上げちゃう人を、恋人にするような人でもない気もするけど、というか書いてて辛くなってきたな。ショックで1週間くらい、泣き続けてしまう。こんなことを考えると、詰みまくってることに気づかされるけど、それでも生きるしかないのでした、いや死のう😇