これから色々書くんだと思う。

人はいつか死にます。みてください。

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 受験が終わったら何がしたい?みたいな質問はありがちだけど、今何がしたいかって聞かれたら、受験を早く終えて好きな人に告白したいんだけどなあ。

 

相変わらず考えてることが気持ちが悪くて、自分が好きでもない人にされて良く思わなかったことを、自分が好きな人にやってしまってるんじゃないかとか嫌になる。そして、自分はその『好きでもない人』に好意を持たれた事を、たまに思い出してもこんな奴でも人に好かれたんだなあと自信にしてしまったりする。そんなこと好きな人の前ではなにの力も持ってないのに。

 

一方的な愛は、顔が良かったり、ものすごく性格が良くて好印象を与えるような尊敬できる部分のある人でない限り自分は受け入れられないのに何やってるだろう(そういう人は自分からも好意を持つし、そんな人に好意を持たれたこともないのに本当何言ってんだろう。)

 

いやもうこんなだし、自分はあの人と、朝に偶然会ってあの人の横を歩いたことや、ご飯を食べに行けたことや、ちょっと素敵な場所に2人で行ったことや、何度か一緒に帰れたことを思い出に生きるんだ。手も繋げなかった人の事を後1年以上は思い続けるんだ。

 

とは言っても、恋人のいないもの同士の関係だから、幸せだった事を振り返れば、良いことだけ絞ったものをみれば、無しではなかったんだと思っていきたい。思ったところで意味なんてないけれど。ただ暇なだけで感傷的でもないのに、感傷的な人みたいな文章を書いてしまった。インターネットのおかげでいつでもどこでも繋がれると言われる時代に生きる1人として言えることは、あの人と自分に物理的な距離が出来てしまっても、それなりに連絡はとれるんだろうということ。あの人が自分の知らない外の世界を大事にするようになったらそれで終わりなんだろうということ。うわーかなしいなあ。

 

 現在から過去を語ったら、それはさっき振り返った時のように、都合のいいような美しいものにしがちだけど、現在から未来を語ることもまた正しいとはいえないみたいなアレだ。

 

うわあでもそんな風に考えられる自分がいるとしても、これから今よりずっと自由になれるのだとしても、今しか生きられない自分は刹那的に好きな人と愛を貪りたいと思う訳だ。握手でも、滑って転んだところを助けてくれるでも、助ける側でも良いからさ、手繋いでくれよ。なんで彼氏もちの女とハイタッチしてるんだ。

 

綴 れ 文 章

 そんなことになることは決してないと思うけど、もしメンヘラというものがネット上だけでなく、現実でもマイノリティじゃなくなる時代に塗り替えられたとしたら、むしろマイノリティとしてやってきたメンヘラの心は健康になるのではと思ったりした。

 

といっても、金持ちと貧しい人かいて、貧しい人の方が、金持ちより多いと不等式が成り立ったとして、金持ちが貧しいといわれる人より増えても、貧しい人が幸せになれる訳ではないなとも思ったので、この考えはやはりパッと浮かんだものらしく、ガバガバだなと思わされる。でも、メンヘラと呼ばれる人たちの心のポテンシャルは意外にも場合によっては、柔軟に移動できるものなんじゃないのかと期待してしまった。

 

それから今日は、勉強について前向きに考えられる機会を得た日だった。ここ最近は、自分がどういう思考をしてるかに目を向けるようになったから、やたらと出来事に対してどう捉えるか、行動するかが自分にとって良いかを考えるようにしてる(過度な一般化とも言う)。

 

明日も自分の思い通りにならない日が来るだろう。昨日よりも気を張らず、今日よりも気を張らず、ころりと転がってきたことに幸せを感じながら生きたい。もしくは究極のドMになり、この辛い毎日をひどく喜ぶなどしたい。実際はそんなに辛い訳でないけれど、たまに絶望的に辛くなるので。

無題

感情の共有は不可能だ。が自分のよく考えてることの1つで、ある時、自分を曲げたくなかった自分はよく話をする人に辛いんだと打ち明けられて、この気持ちが分かるかと言われて、自分はその人の分かってもらいたいに賛同できなかった。感情の共有は不可能だからみたいな、甘えてきた猫を蹴って追い払うような事をしてしまった。引かれるような事だったとも思う。そのことは後悔してるし、自分も好きな人と同じような気持ちでいれたらなんて思うことがある。だから、他にかけるべき言葉があったはずで、あれは本当に勝手だった、理解されないことは辛いことだし申し訳ない。

 

感情の共有、というより、全てのことにおいて自分たちは共有することが完全には不可能だと感じる。自分が見てる方向とあの人は同じ方向を見てるようで見ていない。あの人が喜べることに一緒に喜ぶことはあっても、あの人が過ごした悲しい夜を、あの人が食べたものの温度を、眩しいような景色を、自分は経験できないのだから。

 

それは仕方のないことだし、仕方のないというより当たり前のことだから、むしろそこを噛み砕いて、愛を持って逆に躍起になってくれる人もいるのかもしれない。分からないから分からないままで良いのでなく、同じ夜を過ごそうと、同じ温度の同じ食事をしようと、同じ景色を見ようとするのかもしれない。それは愛ですね。こんなことを言えば、そんなことを言うあなたは愛を幻想と思ってると言われるのかもしれない。

 

後、同じ景色を見ようとするなんてどこかの俳優もやって、歌も歌えて、服装が奇抜で素敵な人みたいだなと思った。

 

無題

さっきは物置で泣いていた。泣きながら、誰か見知らぬ人が突然入ってきて自分を殺すような素振りを見せてくれればいいと思った。そうすれば、自分は生きたいと思うこともできたし、家族にすがろうという気にもなれただろうから。

 

家族は自分を大切な人として、将来のある者として扱うことを諦めたみたいで、接し方の節々にああ早く死んだ方が自分の心は楽なんだろうなと思わされる。

 

早く独り立ちをしたいな。

それでも、誰かと家族になりたいような気がするというジレンマを抱えてるが、自分の能力は低いし、まともに愛せる自信ないし、知った分嫌いな所が出てくるんだろう。

受け入れて生きてくらいなら、そこに幸せがあろうが1人の方が楽だと思うし、それでも世間体を気にする自分は誰にも愛されないで1人で生きてると思われるのも嫌だ。可哀想な人と誰かに思われるのが嫌だ。それで良いんだよって言ってくれる人もいるかもしれないけれど、大多数に思われないと安心がない。大多数に受け入れられない人間が何を言ってるんだろう。そんなことを悶々と考えて、うわべだけで愛されて、若いうちに死んでしまいたいという答えに感情的になった時はたどり着く。

 

 

今日、起きてしまったことも、憎くて仕方がないけれど、それに伴う原始的な感情は生きてやろうなんて気持ちもどこかへ吹っ飛んでいくんだから、そんなのものに命を握られてると思うと悔しくてたまらない。

 

これから、例えば学問の楽しさに気づいてこれをやらないと死ねないなんて思える日が来るかもしれない。そんな自分でも、例えば誰かに浴びせられた罵声や、後頭部を殴られるといった暴力行為で一気に死にたいと思うんだろう。人とともに生きることは辛く厳しい。本当に駄目になったら、自給自足生活を送ろうね、いや自殺か。

また会おうと言ってくれ

クリープパイプの曲『エロ』に「今日は明日 昨日になる」と続く歌詞がある。小学生のとき、まさにこの「昨日」とか「今日」とか「明日」という言葉には、永遠さえも見え隠れする気がした。これから人類が終わらない限り、「昨日」も、「今日」も「明日」もあって、または同じ意味を持つ言葉がある限り自分たちはそれらにさまざま思いを馳せられることはおもしろい。

 

今生きている。この文章を書いてる。

 

その行為は、というかあらゆるこれから行われる行為は、当たり前に生まれた時からの延長にあって、長く長くなっていく。

その長く長く続いていくことの不思議さというか、退屈な授業を受けていることさえもその一部であることに気づいて、すごい発見をしたような気分になった。

 

その積み重ねで、気づいたら受験生の自分は試験日を迎えているだろう。朝起きたら、1日1日と当日は近くなっていってる。時は不可逆だから。それでも、生きてたら試験当日の次の日もまたやってくる。未来のある自分たちは、死んで終わりを迎えた人たちより確実に可能性がある。だから、超えられない壁に、変えられない事実に、苦しいと感じる。それでも明日は来るから、幸せに生きたいなら、そこに希望を見出すべきなんだろう。こういうことを考えてると、神を信じて生きることはきっと楽なんだろうとか思ってしまうな。

無題

誰も見てないと思いますが、人を不快にさせる表現があります。

よく親を反面教師として見てきた。

見ざるを得なかった。成長するたびに自分が家族に向ける目は異質なものとなっている。みんなどっか変だなんて言葉は、そりゃそうだけど自分はあなたのこともわからないし、あなたにも自分はわからないだろう。ただ、ああ自分はこんな人たちにはならないようにしようと決意を重ねてく。ただ顔が可愛いだけの兄弟、ただ本をたくさん読んでいて知識をひけらかしてる父親、いつも鬼の頭を取ったような発言をしてくる祖父やいつも解決を先延ばしにしがちな母を、その中の何人かの精神疾患のある家族たちを、歌につづれるくらいには愛せたらいいと思う。誰かが死んだりしたら家族の絆は深まりでもするのか。そんなことはなさそうだ。

 

自分でも、誰かが言ったことからでも、人のせいにしてはいけないことはわかってる。それでも、事実として小さい頃から人を好きになってもどれだけ愛しても、この人と結婚することは自分は家族がああだから嫌がられるんだろうなとか思ってしまう。よく考えたら、異常だと中学生くらいの時に気づいた。身軽になりたい。縁を切りたい。こんなに家族を愛せないのに、好きな人と特別な関係になりたいし、一緒に暮らしたいし、好きな人となら子供すら欲しいと思ってしまう自分も大嫌いだ。生誕の災厄、生存の災厄、欲求の災厄。 

 

来世があるのならば、来世があるならば、本当来世を避けたい。来世を拒否したい。

強い妄想。

窓を開けると心地よい風が入ってくるような暑くも寒くもない日の17時半に、夕日の入る窓際のソファで、肌触りのいい、素敵な自分に似合うワンピースを着てうつらうつらとしていたい。

そしたら、好きな人がそこに影をつくって、そっと、そして難なくだき抱えてベッドへ運んで欲しい。好きな人の温かさや、布のワンピースの肌触りを強く感じていたい。好きな人は、その後テーブルに置かれてるパソコンをいじってるんだけど、すぐ眠くなって、2人で結局寝てしまって起きたら21時で、晩ご飯作ろうってなって、なぜだか手間のかかる餃子を2人で作り始めるんだ。お気に入りの音楽をかけながら、とくに会話がある訳でないけどお互いに満ち足りた気分の中で。