これから色々書くんだと思う。

人はいつか死ぬし、時を惜しまずみてください(?)

思春期か

一貫して、こういう自分の内面を綴ったブログを書いてる人間で、文章も稚拙だと、まず友達が多いとはいえないだろうし、コミュニケーションも得意でないと思う。

 

今自身は学生で、学校に通う立場の人間だ。学校に不満は今は持ってないし、卒業するために通わないといけない。そこでは、人とコミュニケーションを取らないといけない。

元々、友達が多いか少ないかは、よく分からなかった。前の学校が小さな規模のもので、みんなそこそこに話せる人たちだったから。今の学校は入った頃、知ってる人が両手で足りるくらいだったし、話せる人は片手も指が余る。それでも、なんとかなるだろうと思ったけど、ならなかった。諦めて、朝が来るのが怖いなと思いながら生きていた、憂鬱だった。運動神経も悪いから、冷ややかな視線や言葉を浴びる体育が嫌で仕方なかった。私服の学校だから、その日はジャージを朝から着て行くことになってたし、嫌な気分になるから体育の日以外はジャージを着るのをやめることにした。

今も同じ学校に通ってる訳だけど、これが過去のような形で書かれてるのは、実際に少し前のことだからで、今は前より元気にやってる。自分なりに顧みて、行動した。今も、多分クラスでは浮いてる。それでも前よりは自身の心が穏やかだから良いかもしれない。逆に自分は厚さで例えたら、ありもしないような人間関係に息苦しさを感じていた。クラスの繋がりはゆるいようで、ある時間と空間的範囲で逃れようのないものだった。そして、人の目が気になるくせに、根本的な部分で自分が変わることができる日はこないと思う。自分もどこかで、体育で本気になれるような、他人の気持ちを考えず、他人のできないことを馬鹿にできるような心ない運動神経は良い人たちを見下してしまってるんだとも思う。それでも自分のことを愛してるよという話。

どうやったら彼のようになれるか

好きな人が好きじゃなくなったかもしれないなんて前に書いたけど嘘だった。

よく何度も、噛んで旨味の増す曲をするめ曲というように、自分は彼をどんどん好きになっていってるみたいだし、『彼が大好きだ』と口に出したくなる。だから、ちょっと前の時期は考え方を改める期間に入っていたということにしたい。

 

自分が好きという感情を彼に抱く理由は、彼がよく見ると素敵な顔立ちしていて、笑ったあどけない顔が天使みたいで最近彼を撮った写真を日課のごとく見てられるからだし、勧めたものを彼も好きになって自分は考えられないような悔しいくらい繊細な感想を伝えてくれるからで、そういうやりとりがあるうちに、たまに見え隠れする好意のようなものが嬉しいからだった。

 

だけど、この1年より短い間は、見えなくなってた部分が多々あって、自分は彼と最後にあったたまに見え隠れする好意のようなものでしか関わって来なかったような気がする。それで、何度彼が他の人と仲良く話してるだけで心が崖っぷちに立たされたような気になったことか、構ってもらえないときは家に帰って泣いてたし、彼に酷い態度を取られたときは本当に書けないくらいまずかった。

 

それでも今日は(もう日をまたぐけど)、好きな作品のことを話そうと思って、ラインを送ったら感想を聞かせてときて、ああこの人とこういう話をしてるうちに好きになったんだよなあと思いだしたというか、その言葉の温かさに抱きしめられるみたいに、ぼんやりとだけど苦しさから解放されたような気がした。

自分はちゃんと話せる相手も限られてるし、話が合うことの居心地の良さが、いつの間にか本質的といえない余計なことから悪さに変わっていて、それに気づかず突き進むような生き方をしてしまっていたかもしれない。せめて素直でありたい。

 

後、3月に大きな山を乗り越えたら気持ちを伝えたい思う。

自力で心の平穏を取り戻すのってむずかしいね

例えば、好きな飲み物の缶を持ちながら、自分が素敵だと思えた服装をして広い道を散歩をする。ついでに海へ行く。空が暗くなるまでまた歩く。満足した帰り道は家までが面倒だなと少し思う。でも、家に帰って振り返ればなんだか綺麗な思い出に見えてくるものだから、それはそれで良い。自分はナルシストなので、人に話す。人に話したら、そういうの良いねと言われた。良いなと思ってやってると返した。

 

別にこれをやる動機は最初は人に話すためなんかじゃなくて、これをやったら気分が晴れないなとか、誰かに会えないかなとかだった。

実際悩みの角なんかおおよそ丸く削れていったし良い行動だったと思う。これは自己満足でした行動。結局辛くなった時、自分を支えてくれるのはそれかもしれない。

いやでも、辛すぎると動かなくなって枕を濡らしてるので結局駄目かもしれない、寝て忘れよう。全然会わない人に会うとかでも良い、自分の世界以外にも世界が確認できる。

前まで、勇気付けの言葉として世界にはたくさんの人がいるというのをきいて、全くそんな言葉と受け取れないでいた。悪魔の証明みたいに、そのたくさんの人に自分が全員会える訳じゃないから、むしろ絶望じゃないかと思っていた。でも多分世界は自分のいる現実や、ツイッターやブログの世界以上に広々としたものなんだろうとこれからは受け止めていきたい(?)。

心配性の彼女の心傷

タイトルに意味はない、ただ響きがいい。

若者のすべてを聴くタイミングもなく、夏が終わっていた、季節が夏をやめた、日本が夏をやめたという感じ。

秋を通り越して、冬のはじめみたいに肌寒い日で自転車に乗ってると手がかじかんだ。寒いのは嫌いだけど、冬の匂いは幸せになれる。不思議と分かり合えたような特別な気持ちになれるから。

 

自転車を漕いだのは、勉強しに行くためで、今日は確率をやった。確率は、考え方が違うと、突き放される感じがする。独特だし、数Aにカテゴライズされる理由もわかる。確率さんが人間だったら自分変わった人としか友達になれないから、きっと馬があったよ。それでも、確率のできない自分なんか見捨てられて他の人の所へ行ってしまうんだろう。見捨てられた自分はどうすればいい。夜には泣いてしまうかもしれない。あの子よりもできるようになるからさあ、ちゃんとずっと愛すから、愛してくれよ。

 

変わった人としか友達になれないの変わったを定義しないといけないけど、できない。普通ってなんだ、変わってるってなんだ。主観で語るんじゃない、自分を消し殺さないといけない。

 

 

めちゃくちゃだけど賢くなるから勘弁してくれ

台風が過ぎ去った後の道路を見て流動的とはなんなのかを考える。

 

自分は動きのあるものが好きだ。

 

絵だと平凡な窓がはめ込まれていたり、鏡にその景色を写したものとか、奥行きと時間がそこには生まれている実感があって、心地いい気分になれる。

 

それでも、心情の変化はどうだろうって考えてみた。

 

それは好きな人が好きじゃなくなったかもしれない。

好きじゃなくなったというか、どうでも良くなったかもしれないからだ。

 

人の気持ちは過ごす時間を通して、常に変わっていくものだし、嫌いとか好きとか普通とかそんな分け方以上に複雑だと思う。そこに、もっと言葉を補足しないといけないと思う。

 

そしてそういう出来事に直面した時なんでそうなっちゃったんだろう、そのことに虚しさを感じたりする。

 自分の場合は、あまりにも息苦しかったんだと思う。恨まなくてもいいような相手を恨んで、その人を傷つけてるとも思ったりして、好きな人が異性と話してるだけで陰で泣いてしまったりして、もっと単純にアニメの話とかしたいんだよ、その方がずっといいんだ、きっと。

 

それでもまたこの気持ちも変わってしまうんだろう。仕方ない。仕方ないからせめて強く生きよう。そしてちゃんと動こう。

動けない

物理ができない。これはずっと続いてることでどうにかしないとなあと思ってることだけど、そもそも最近勉強がままならないので、どうにかできるかは謎だし、物理を取ってた高校2年時は、半径1メートル程度しか周りが照らされてない状態で、訳がわからないくらい人を好きになって、現在進行系で痛々しい恋をしていたり、単純にインターネットが楽しかったり(内容のない人間なので、理由もこれくらいしかない)したので、勉強を全然してこなかった。これからもする気がない。あの時も自分の言葉だけは立派だった気がする、ハリボテだ。

なんだかんだいって、質量のあるものに頼りがちで、そうじゃない知識やら思考やらを得ようという貪欲さが欠けている。明日という実質今日もなにも変われない、あなたがちょっと変えてくれないかななんて他力本願だからいけない。

もし愛が重たい人というのが、好きな人が異性と話してる時に目を真っ赤にしてる人だとしたら、それは自分だ。

ここ1週間、自分の心情に変化があったはずなのに、実際動いてみると全然そんな気がしない。むしろ好きな人が誰かと話してるとかそういう光景が前以上に辛くなってる。もう駄目かもしれない。もう駄目だ。話せた時は、嬉しいとか思うのに、それと話せない時の悲しいが全然等しくない。話せたらその日1日がすごくいい日だと思えるし、近くに座ってくれたら、ああもう自分のこと好きかもなとか単純だから思うのに、遠い時の悲しいはそれより大きすぎる気がする。そんなの嫌だよ。書いていたら泣けてきてしまった。もっと頑張って生きよう。最近はサボりすぎた。明日もちゃんと話せないよ。いつになったら話せるかなあ。もっとちゃんと愛を伝えるから、愛して欲しいなあ。