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これから色々書くんだと思う。

学生がなんか色々書いてる。

ちょっとした確認のような想いも込めて

深夜に起きる癖がついてしまった。睡眠が浅いような気になるから、うんざりしてしまう。

最近iphoneが壊れた。そのことを親に叱られてしまうなあくらいの感想しか持たなかったのが、自分でもなんでこんなに焦らないのかと不思議だった。 

それでも、その壊れたスマホに好きな人がラインを送ったらしい。本人が会った時伝えてきた。何をかいたのかも教えてくれはしたけど、早く読みたくてたまらなくなった。その日は金曜のことだったけど、その後明らかに機嫌よかっただろうし、自分って面倒臭いやつだなと思われるんだろうな。今は代替機でこのブログを書いてるし、ラインにも返信をした。お互いいつも即返信していたけど、今回はゆっくり、というかテンポの悪いやりとりをしている。どこか盛り上がらないなあと思ってしまうけど、話せるだけで嬉しいので、どんな内容でも良いから普通に毎日やりとりしたいように思うけど、そんなことは無理だろうと考えた方が後々辛くないので、あまり希望は抱かないことにする。

最近は好きな漫画の新刊が出たり、ずっと観たかった映画が地元での上映が決まったりと他にも生きていく理由にできそうなことは少なくない。

些細なこと、大して面白くないむしろつまらないことに喜びを感じられたり、うまくいかないことをなぜうまくいかないかよく考えたりすることが出来たら幸せになれるのかなと思ってはいたけれど、それに従ってはいなかった。今は前よりずっと前向きでいられるからか、少しは意識することができているはず……。

きょ(う)のこと

ある学校帰り、どうしようもない気持ちを紛らわそうと公園に向かって自転車を漕いだ。自転車を入り口の邪魔にならないところに止める。そこはいつも登下校中に横切るブランコがあり、木が大量に植わっているだだっ広い、自身にとってやや不気味な公園だった。だが、入ってみると外観では分からなかったが、ブランコ以外のもう1つ遊具のようなものがあった。それはピンク色の大きなドアだった。ピンク色のドアと言って思い浮かべる印象的なアニメがある。『このドアもそうなのかもしれない』、文字にすると妙だが、そう思った。しっかりと両手でドアを握る。テレビで見るみたいに片手で開けることはできないずしりと重みのあるドアだった。開けた先に広がる光景は憧れの南の国ではない。ただのトイレだった。ただの洋式の比較的新しいトイレである。結局そんなものか、現実はと、落胆しながらもそこは意外にも心安らぐ場所だった。かれこれ13分ほど、そこには居た。ドアを開けると、自身に向かって強く風が吹いてきた。外はいつもそうだ。それでも、見つけたあの場所だけは何ものからも守ってくれる、そう信じて生きていく。

明るいことだけ

浮かないことばかりだったので、良いことだけを書き、ひとまずここを癒しの場としたい。

 

良いことで繋がることといえば、大抵は好きな人のことだが、最近よく近くにきてくれることが多くて非常に嬉しいし、もし好意が伝わってくれた結果の近さなら、とても可愛いものだなと自惚れてしまってる。新学期で毎度上靴忘れちゃうみたいでスリッパ履いてて音が聞こえて誰が来たか分かっちゃうから、前から仲良くはしてたけど、一方的でもないけど、そんなことなかったから本当愛しいーー。もっと近くにいてくれーー。という話でした。

幸せになることで欠けてしまうものとか

悲しい時は本当に辛いけど、それでも何もなく穏やかすぎる日々を過ごしてると、このまま幸せになって良いのかと思うことがある。続けようとしてた日記に何も書くことがなくなったり、前まで天井に語りかけていた言葉が届かなくなったり、そういう場面に出会うたび自分が空っぽになってしまったと虚無に飲まれそうになる。 どういう状態でも考え続ける人間でありたい。

 

そして、余談ですが、先日公開された『夜は短し歩けよ乙女』を喉から手が出るほど観たい訳ですが、住んでる場所が僻地すぎて、公開されないという……。こんなことがあってええ訳がない!ええ訳がないじゃないか!と混沌とした6畳間で呟いてるくらいだから、非常につらい。予告も何度も観てるけど、実行委員長本当美しくないですか、ずっと見てたい(欠片もない語彙力)。公開したら、好きな人と観に行って大学生活に幻想を抱くのが夢なので、観ることができる地域にいる人はぜひ観に行ってほしい(ヒットさえすれば多分遅れて来る)。このうずうずうずうずしてるのを鎮めるため、とりあえず原作を風呂で読んでくるなどしてくる。明日から始業式らしいが、特に何もしてないし、自分は受験生真っ只中らしい。

 

 

 

愛でたい

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見ての通りこれは山の一部である。ギリギリまでズームして撮ったものだから分かりにくいが、空と山の境界はあまりくっきりしたものでないという最近の気づきを言いたかった。木が割とはっきりと木だと認識できるのだ。ただの大きな固まりとして捉えてたものが視点を変えると、こんなに繊細な部分があったのかと。美しいと感じ、わかってほしいと思った。いや、みんな自分よりずっと頭がよいから気づいてたことかもしれない。みんなも山を眺め、海を感じることを強く強く強く勧めます。本当にわかってほしい。自然は良いものです。特に海は良い(山の写真を載せときながら)。ただそれだけ。なんてつまらない話なんだ。

細かいガラスのチクチクとした痛さ

中学の友達と遊んだ。集まったのは、自分含めて5人くらいで、前にどこで集まったとかという話を聞く限り、自分はあまり中学の友達と絡んでない方なんだと自覚するし、欲しいわけでもないのに疎外感に見舞われた。

 

会った人たちの2年近く会ってないような人もいる中で聞く近況は、さまざまだった。普通に進学の話をしたりもしたが、学校を辞めてたり、親が亡くなってひとり暮らしだという人もいた。こういう話を聞いて自分の生き方はなんなんだとなってしまった。比べられるものではないのは分かってる。

それでも、中学の時の人たちに会うことが、落ち着けるとか、心を取り戻せるとかそういう訳では全くなかったことに違和感を覚えてしまったんだと思う。自分は小さく惨めな存在だと感じた。

考えれば、最近は学校の人間関係のことにとらわれ過ぎていた。もちろん、このことはわざわざ会いに行くような他校の中学の友達には通じない部分だろう。自分はそういう世界に生きすぎてしまった。慣れてしまった。もっと広い部分を見ていきたい。

自分の知らないところで人生があることが恐ろしくなる。それが知り合いなら尚更で、読みかけの本をまた読もうと思い立って手にとってみたら、内容が抜け落ちててうまく話に入り込めないようなそんな感覚にとらわれる。今の友達もいつかそうなってしまうのかもしれない。そこに恐ろしさを感じるのは、やはり過去に囚われてるのか。今を楽しむしかないみたい??

タイトル思い付かない

最近は幸せというか穏やかな日々を送ってきたような気がする。感情が昂ぶってしまうようなことはなかった。というか、少しでもそういう気になりかけたら、料理をして気を紛らわすことを覚えた。

こんなことをどこで誰に言っても無駄というか、伝わらないと思うことはよくある。現実では、話せるような相手はいない、海と形容されるインターネットでは発信したとしても正にすごい速さで流れていってしまう訳で、それでも各人の網に引っかかることを多分期待してこれは書かれていたりもするが。さらにそれに及ばないながらも、もやもやとすることは、悶々と考え続けてた前より、動いて紛らわすことが自分には良いんだと思う、そういう話だった。

 

文章が大分雑なものになってしまったのは、自分の力不足が否めない。本を読もう。