これから色々書くんだと思う。

学生がなんか色々書いてる。

細かいガラスのチクチクとした痛さ

中学の友達と遊んだ。集まったのは、自分含めて5人くらいで、前にどこで集まったとかという話を聞く限り、自分はあまり中学の友達と絡んでない方なんだと自覚するし、欲しいわけでもないのに疎外感に見舞われた。

 

会った人たちの2年近く会ってないような人もいる中で聞く近況は、さまざまだった。普通に進学の話をしたりもしたが、学校を辞めてたり、親が亡くなってひとり暮らしだという人もいた。こういう話を聞いて自分の生き方はなんなんだとなってしまった。比べられるものではないのは分かってる。

それでも、中学の時の人たちに会うことが、落ち着けるとか、心を取り戻せるとかそういう訳では全くなかったことに違和感を覚えてしまったんだと思う。自分は小さく惨めな存在だと感じた。

考えれば、最近は学校の人間関係のことにとらわれ過ぎていた。もちろん、このことはわざわざ会いに行くような他校の中学の友達には通じない部分だろう。自分はそういう世界に生きすぎてしまった。慣れてしまった。もっと広い部分を見ていきたい。

自分の知らないところで人生があることが恐ろしくなる。それが知り合いなら尚更で、読みかけの本をまた読もうと思い立って手にとってみたら、内容が抜け落ちててうまく話に入り込めないようなそんな感覚にとらわれる。今の友達もいつかそうなってしまうのかもしれない。そこに恐ろしさを感じるのは、やはり過去に囚われてるのか。今を楽しむしかないみたい??

タイトル思い付かない

最近は幸せというか穏やかな日々を送ってきたような気がする。感情が昂ぶってしまうようなことはなかった。というか、少しでもそういう気になりかけたら、料理をして気を紛らわすことを覚えた。

こんなことをどこで誰に言っても無駄というか、伝わらないと思うことはよくある。現実では、話せるような相手はいない、海と形容されるインターネットでは発信したとしても正にすごい速さで流れていってしまう訳で、それでも各人の網に引っかかることを多分期待してこれは書かれていたりもするが。さらにそれに及ばないながらも、もやもやとすることは、悶々と考え続けてた前より、動いて紛らわすことが自分には良いんだと思う、そういう話だった。

 

文章が大分雑なものになってしまったのは、自分の力不足が否めない。本を読もう。

???!!!という感じ、そんなぐるぐるとした海に飲み込まれ、短すぎるものを終える

ただ法に触れるということが最底辺というだけで、法になんか触れていなくても、周りにはおかしく見えてしまうこと、社会から疎まれてしまうことがあるのは理解してるはずなのに、どうしてその加減が分からないのか、どうして生きにくさを抱えなくてはいけないのか。これが永遠のテーマならそんな人生は捨ててしまいたい。と思うことがある。

生きるということに、傷を負うことが平然と立ち尽くしてるとは思いたくない。そしてこんな事を言いたい訳じゃなかった。ごめんなさい。

何もしたくなくなる。

休日の自分の生き方は、ずっと寝ていて、何も変わることがなくて、本当に情けない。

 

こう書いてみて、まだ情けないと思えてる事に気付く。言葉にしようとするなら、日々は怠惰で、しなくてはいけない事をするべき時間も布団に入ることで、消費してしまっている。それでもこれは仕方ないことだと思っていて、それで良いんだと思っている。良くない、良くない。

 

自分は人に認められたいし、立派になりたいはずだけど、この溶けた頭では、本当にそうかとなってしまう。馬鹿だ。

 

強く生きてみたい。その言葉に尽きる。

思い出す

2ヶ月ほど前、用事があり5時間ほどの移動で札幌へ行った。

 

その時、そこで興味があった使い捨てカメラを狸小路のメガドンキにて、買った。自分は絵を描くので、資料として写真は制作するときとても大事なものだったりする(本物を見れれば良いというのはもちろん理解してる)、そうやって資料の写真を撮ってるうちに写真には、絵の楽しさとまた別のものがあることに気づいた。

スマホで撮れば良いのかもしれないが、レトロに撮れるということで調子に乗って買ったその使い捨てカメラの残ってしまった3枚を、特に良いモデルがいる訳でなく、自分が住んでる味気のない街でどう消化しようかと考えていて、現像のことは半ば諦めているような状態だった。

 

それでも、思い出す、好きな人をそのカメラで撮ったことを。好きな人が絡むと自分はなんでも特別になってしまう。3枚を何が何でも消化し、早く現像しに行こうと思った。あの人には、1枚無駄にしたねなんて言われたけど、何も無駄なんかじゃないです。好きです。

 

 

 

 

 

 

その写真を現像したら、大事にしてる手帳に挟みたい。そしたら、どっちももっと特別なものになる気がする。

特別という言葉は、なんだかこの環境に酔ってるみたいで頂けない。それでも、行動にどうしようもなく移したい。

無題

寝る前は起きた時、少しはこの気持ちが軽くなってればいいと思いながら眠ることがある。というか、そういう気持ちだったんだろうと起きて付け足すことがある。でも、それはその気持ちに振り回されてるからで(なんか仏教っぽい)、生きるのは難しい。

 

最近は、精神疾患の例を見かけるたび、これは自分のことじゃないかと思うことが多い、メンヘラになってどうするんだともなるけど、よく聞くような病名があると安心するという流れに自分も押し負けている。

結局、精神疾患があるかもしれないことは異常でも、自分が求めてるものは平凡だし、病名が付けば、提示してくれることがある対処法が普通に近づくための方法のようになるという点が面白い(面白くない)。andymoriのクレイジークレイマーでも歌われてたので、みんな聴こう。すばらしいバンドだから。

 

少しでも、人と違う言葉を使って、人に伝わることを書きたいと願ってる。これは、本気のテーマと言っても間違ってる訳でなく、誰のこともぴたりとは分かってあげられない、分かってもらえない自分が人とのコミュニケーションの手段であったりするものだと信じてる。

 

それでもこのブログはあまり読まれない。結局、自分のために書いてるんだと、半ばやけくそに思う。

寒い夜に

友達と部活終わりに、ご飯を食べる、本屋へ寄る。

 

食事した所まで、自転車を押しながら行ったので、色々な話をした。愛されたいとはその友達にはよく言ってるけど、好きな人のことは全く言ってないから、いつか言おうかと思い、同時に好きな人にしかこんなことは言わなくて良いんじゃないかと思ったりするのでまた言えなかった。

 

外はこんな季節だから街灯も眩しい深い闇という感じで、夜が好きだから、とても良い気分だった。穏やかだった。日中だと天気やら、その時の気分で揺れ動いてしまう部分があるけど、夜は暗い住宅街以外は多分愛せる。

 

肌寒い夜で、自然と足早になっていく、好きな人と手を繋いだらあったかいなって思う。 あったかくなりたい。こんな時にも考えてることがこんなことでうんざりする。