タイトルマダイ

人はいつか死にます。みてください。

ねむねむねむ

眠いとか、睡眠とか、寝ることに関してものを言ったときに自分が1番正直なことを言えてる気がする。

 

好きな人と特別な関係というものになりたいという欲求があるけれど、たまにふと好きな人が本当に好きかを悩む。お腹が空いたし何かを食べたいという欲求があるけれど、その何かにも好き嫌いがあって、極度に飢えてない限りなんでもいいわけでない。

 

こういう感じに、言葉がふさわしいか分からないけれど、選択肢があったうえで行動しないといけない。けれど、寝ることに選択肢はない、ただ一直線に進む。

 

試験前夜に、少しも勉強してなくて本当に寝ていいんだろうかとなることがあっても、それは寝ることが問題なのでなく、勉強してこなかったことが問題だ。起きているときに不眠症になることはあっても、寝ながら不眠症になることはない。寝ることは正しい、正しくないという次元にいない、絶対的なものと考えることができる。

 

そう思うのは、自分は眠りに落ちる瞬間を体験したことがないからかもしれない。起きている状態から、寝ることに中間が意識の中で存在したことは今までないと思う。スイッチを切るように、起きるから、寝るに変わる。もちろん寝るから、起きるに変わる。起きるから寝るときに、自分たちには目の前に困難があることがたくさんある。そこで葛藤をする。葛藤をしないといけないようになっている。その葛藤している時に、『眠たい』と口にする。

 

さっきも言った具合に、『眠たい』と眠たくもないほかの場面で口にする時、また寝たふりをするときそれは、目が覚めている時に起こってることに困難があるからなんだろう。宇治拾遺物語の「児のそら寝」のように。

 

言葉で伝えきれないことはありすぎて困る。途方に暮れる。まったく正しいことが書けてないと焦ることがある。文章がおかしいと指摘されることがある。この流れを書くのにもつまずくところがあった。ふと、寝たいという、眠たいと思う正直さから、広げられるような限りなく正しいに近い文章を書ける場所があるようなそんな気もする。